三津浜ってどんな町?

万葉の昔から愛され続けてきた、三津浜の港

熟田津に船乗りせむと
つき待てば潮もかなひぬ
今は漕ぎいでな

額田王

〝みつはま〟とは

「みつ」の名は聖徳太子、舒明天皇、斉明天皇らの宮廷人が伊予の湯(道後温泉)への行幸のおり、乗下船の港(津)に由来する説から「御津」説があり、熟田津・飽田津・就田津の三つの津から、三津になった説もあります。諸説ありますが、万葉の時代からこのまちは、“みつ”と呼ばれていたと見られます。

歴史の登場人物たちとともに

三津浜には、室町時代に河野氏が、対岸に城(港山城)を築いて水軍の拠点とした頃まで遡る歴史があります。また正岡子規が人生唯一の師匠と語る大原其戎から、俳諧の手ほどきを受けた地でもあります。子規や秋山真之たちが旅立ち、また夏目漱石が松山に赴任する際に到着したのがこの港です。

現在の三津浜

かつて松山の玄関口として大きく栄え、戦火も免れたことから、当時の豪商や文化人に所縁のある古民家・史跡が、現在でも利用可能な状態で残されています。市街地や空港にも近く、交流の要所であった港町らしい気風から異文化交流にも積極的で、外部からの移住者も多く集まっています。ゲン担ぎやお祭り好きの、粋な商人の風情が香る町です。

面積
0.96㎢
人口
4698人(2022年4月現在)
世帯数
2541(2022年4月現在)