三津浜花火大会の歴史をひも解きながら
三津浜活性化の道筋について語り合う(後編)
三津浜インタビュー Vol.4-2
松山西部地域開発協議会会長 村上純さん
同副会長 河野隆幸さん
同副会長 渡部哲さん
村上純さん
河野隆幸さん
渡部哲さん
宮内香苗さん
「三津浜」の名を冠した花火大会に
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そのときに、奥村さんが「松山は道後と三津で発展してきました。道後は全国に知れ渡っているけれど、三津は全く名前が知られていないですね。これは何とかしなければなりませんね。そこは地元で工夫してみてください。」と言われたんです。その通りなんです。
それで、私は、せっかく花火大会をするのだから「三津浜花火大会」として開催したいと市に提案したんです。その提案が通って「松山港まつり三津浜花火大会」という名前になったんです。
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当時の三津の長老の中には、「三津」ということに、ものすごくこだわっていた人もいました。
三津浜では、昔から独自で港まつりを開催して、花火をあげていたんだとね。やるなら三津浜の花火大会ということにしないといけないと言ってたんです。古い人たちは、松山ではなくて「三津浜のわしらの祭りじゃ」とこだわっていたんですね。
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その年代の方は、松山の三津浜というより、独立した三津浜という意識と誇りをもっておられたのでしょうね。
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ここは、松山の海の玄関口ですから、物流も人の流れも、ここから始まって栄えていたのですからね。
花火大会が大きな規模になることは喜ばしいけれど、松山まつりに吸収されてしまったのでは、三津浜としては、長年、独自に続けてきたのにおもしろくないですよね(笑)。結局、三津浜花火大会という名称になって、これまで通り地元が運営できるので、みんな喜んだんですね。
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藤岡さんが三津浜インタビューの第1回で話している内容(当時、花火大会を三津浜に持ってくるために、一人で南海放送に交渉に行ったという話)については、私は藤岡さんから聞いてなかったのですが、まあ、正式に南海放送に話し合いに行く前の段階で、振興会の事務局長として動いてくれていたのでしょうね。
私としては、南海放送に出ていた市の予算がこちらに入ってきて、三津でずっと続いていた花火大会が大きくなるのは、三津浜の知名度を上げるためのチャンスだと思いましたね。
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村上会長さんは、新しい三津浜花火大会になった節目の振興会会長さんだったんですね。
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いやいや、これも、いろいろな事情があったんですよ(笑)。
それまで、私は、振興会には全くタッチしていなかったんです。だから、実のところ、港祭りに関しては何も分からない状況だったんです。当時、振興会内で考え方の対立も起こっていたようですが、私は全く知らなかったんですよ。その年の総会に、事務局長の藤岡敏明さんから頼まれたのでたまたま参加したんです。
そのときの「港まつり振興会」の会長は鶴居諭さんでした。新会長を選ぶ場面になった時に、会長の鶴居さんが、私を会長にと推薦したんですよ。寝耳に水ですよ。もちろん最初は断りましたが、引き受けないと場が収まらないことになったんです。それで仕方なく引き受けたというわけなんです(笑)。でも、受けた以上は、三津浜にとって良い方向になるように動かなければなりませんからね。
ボランティアが支える三津浜花火大会
写真提供:松山港まつり振興会
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いろいろいきさつがあったんですね。そんなこんなを乗り越えて(笑)、三津浜花火大会は、今に至るということですね。それにしても、大規模な花火大会を運営するとなったら、大変になったのではないでしょうか。
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サンパークでの花火大会は、8月9・10・11日の松山まつりの前夜祭ということだったんです。サンパークでは、南海放送の社員が仕事として動いて開催できますが、こちらは地元のボランティアが運営するのですから、週末じゃないとできないんです。それで、松山まつりに一番近い日曜日に行うということになったんですよ。今は8月の第1土曜日に決まっています。
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「松山まつり」の前夜祭として行うということなので、やっぱり、松山まつりの前日にしてほしいという要請はあったんですよ。でもこちらは全員ボランティアなので、平日は無理なんですね。
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三津の花火大会の一番の良さは地元のボランティアの力です。中学生や高校生、大学生もたくさん来てくれているんです。地元の金融機関の方々の協力も大きいですね。
事前の掃除から、ごみ箱作り、席のシール貼りや、後片付けなど、地域のボランティアの手作りで成り立っています。これは、周りにはあまり知られてないんですよね。
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松山市民でも知らない人がほとんどでしょうね。こんな例は全国的に見ても珍しいのではないかと思います。
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今治の「おんまく」の花火大会は、今治市と商工会議所が丸抱えで開催していますからね。
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三津では、協賛金にしても、地元のボランティアが、商店街の個人店などを1軒1軒回ってお願いして集めているんです。もちろん、企業の大口の協賛金もあるのですが、地元の多くの人の協力があってこそです。こつこつとできることを積み重ねていったんですね。
会場設営も、学校からテントを借りて自分たちで立てていましたよ。昔の重たいテントですから運び出すだけでも大変でした。だんだん規模が大きくなって、多少予算もできて、今は、業者にテントを借りるようになりましたが、中学生や高校生も含めて、たくさんのボランティアが動いていることに変わりはありません。
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私も、何年か前に「インタビュー」という雑誌で、船手組会長の渡部祐司さんをインタビューさせてもらって、初めて三津浜花火大会のボランティアのことを知ったんです。振興会や船手組は、半年以上かけて計画し、段取りし、前日の準備から当日の運営、ほぼ徹夜の後片付けや事後処理まで、かなりの活動量です。驚きました。
それこそ、三津の底力だと思いました。
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振興会が中心になって企画しますが、それをもとに、実動部隊として船手組を中心としたボランティアが活動するんです。
ボランティアの中でも、各銀行の三津浜支店の皆さんは大きな戦力です。振興会のメンバーとして来てくださるんです。振興会にはどんなメンバーや企業が入っているかをみんながもっと知ることも大事でしょうね。
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三津の企業や銀行さんは、かつては、三津の港まつりで踊って、そのあとの松山まつりの踊りにも出ていたんです。三津の企業連は活躍していたんですよ。今は、ボランティアで、花火大会を支えてくれています。
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港まつりのいろいろなイベントは今では無くなっていますが、花火は規模拡大してずっと続いています。今は花火大会ばかり注目されていますが、三津浜の港や漁業を守護する恵美須神社の港湾祈願祭が、港まつりの基本にあることを忘れてはならないと思いますよ。
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厳島神社と恵美須神社の柳原宮司さんも、「今は、イベントとしての花火大会ばかりが注目されているけれど、神事のことを忘れてはならない」といつも話しておられます。
渡部さんは毎年この港湾安全祈願祭のお世話をしておられますし、村上さんや河野さんは毎年参列されていますね。
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かつては、神事は水産市場の建物の2階で行われていたんです。平成8年に恵美須神社の社殿が改築されたのを機に、そこで行うようになりました。どうしても、華やかな花火に目が向きますが、この神事が港町三津浜にとっては大事なことなんですね。
三津浜花火大会は中四国有数の花火大会に
写真提供:松山港まつり振興会
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三津浜花火大会が行われている意味や経緯についてだんだん解き明かされた感じがします(笑)。
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昔の三津の花火大会は、打ち上げの数も少ないですし、終わったのかと思ったら、また上がったりして、今のように大がかりな花火ではなかったんです。
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単発でパーンと上がったら、またしばらくしてパーンと上がるくらいでしたよ(笑)。
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それが、今は中四国有数の花火大会になりましたね。
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今治のおんまく花火大会は、平成10年からだということですが、こちらは、昭和20年代中ごろからですからね。三津浜花火大会として大きくなってからも、すでに25回です。
僕が振興会の会長をしていた頃は、おんまく花火は三津浜を意識して競っていたようです(笑)。
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毎年、おんまくは何発、三津浜は何発と、マスコミも煽るようなことを言いますしね。私が会長をしているときに、おんまくの実行委員会もたまらなくなって、「情報交換しましょう」と言ってきましたね。「うちは1万発にします」「それじゃうちも1万発で」という感じでね(笑)。
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それで蓋を開けたら、おんまくのポスターに「1万発プラス1発」と書いてありました(笑)。そんなこともありましたね。
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たしかに、何発上げるかは巷の噂になっていますよね(笑)。
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三津とおんまくがそんな情報交換を始めたら、今度は県が乗り出してきて、「愛媛県の花火大会を集めて情報交換をやりましょう」と言ってきたことがありました。どこの自治体も地域振興ということで力を入れていましたからね。日にちが重なっては都合が悪いので、県は花火大会の日程調整をしたかったんですね。各自治体の花火の担当者が集まっていましたよ。
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港まつり振興会の会長さんは、70年以上の歴史の中で何人もの方がいらっしゃるんですよね。
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うちの父や渡部さんのお父さんも会長を務めていますが、それまでは、花火大会の会長の座は、地域の派閥争い的な要素があったんですよ。ある人が、交代することなく、会長を長年続けておられたので、花火大会前になると怪文書が飛びかっていたくらいです。
そんなことではいかんというので、うちの親父や渡部さんのお父さんや鶴居さんらが中心になって改革していったという経緯があるんです。
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現在は瀬村要二郎さん(三津浜まちづくり協議会会長)が港まつり振興会の会長さんですが、その前の会長さんは・・・
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瀬村さんの前のお二人はここにおられます(笑)。河野隆幸さん、その前が村上純さん、その前が先ほどから名前が出ている鶴居諭さん、その前がうちの先代・渡部優ですね。
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中心となって三津浜を引っ張って下さった方々ですね。さて、資金はどのように賄っているのですか。
継続のためには様々なアイデアを
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企業や個人の協賛金と、市の補助金と、会場の椅子席・テーブル席販売の売り上げ、この3本柱です。規模拡大と物価の高騰で、コストはどんどん上がっています。
花火の発数は1万発、1万1000発までいったこともありましたが、発数にこだわると、資金が賄えません。2025年は、発数ではなく中身で魅せようということで9000発でした。2024年は、
ディズニーとのコラボでドローンショーを取り入れました。これは、ディズニーからの申し出によるものです。ディズニー側からすると、会場設営や警備やもろもろの申請などをする必要がないので、うまみがあるんですね。もちろんこちらもお客さんが増えて喜んでもらえることは嬉しいのですが、事前に告知してはならないということなど、ディズニー側からのいろいろな規制や条件が厳しくて、実は大変だったんです。
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いろいろ大変なことがあったんですね。それにしてもディズニーとのコラボとはびっくりしました。ドローンショーは好評でしたね。
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今後は、このような、大きなスポンサーを取り入れるようなことも考えたいですね。花火を上げるだけではなく、いろいろなアイデアを出していかなければならないでしょう。
全国的に見ても、大きな花火大会が中止になっている所が出てきました。警備費などが膨大にかかるので、結局、資金的に回らなくなっているんですね。でも、続けていくことが大事だと思うんです。三津らしい何かを取り入れてやっていかなければなりませんね。
もう一つは、開催時期をずらすことも考える時がきているのかもしれないですね。もっと、行政を巻き込み、協賛者を巻き込み、どんなことができるのか考えていきたいですね。
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当日は、たくさんの露店も出て大賑わいですよね。
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県外で夏祭りの露店のガスボンベの爆発事故があったことがきっかけになって、三津では、露天商さんに保険の説明会をして、自分たちで保険にも入ってもらうことにしているんです。
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警察などへの届けのことや、ごみの片付けのことなど、露天商さんとの調整や連絡はなかなか難しいものがあったのですが、最近はだんだんスムーズになってきています。そのような外部との調整もいろいろあって、見えないところで、振興会としては苦労がありますね。
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規模が大きくなると、それだけ、配慮しなければならないことが増えていくのでしょうね。
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お客さんについても、最初は、地元や松山近隣からのお客さんを想定して開催していたのですが、規模が大きくなって、市外、県外からのお客さんの事も想定して運営しなければならなくなっています。宿泊客がいることも考えて、今は、土曜日に開催しています。
警備の費用を始めとして、運営の予算も膨らんでいきます。
多くの人が関わり、地元の誇りとなる、三津浜らしい花火大会に
写真提供:松山港まつり振興会
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今後どのように進んでいくことを期待されますか。
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もう数で勝負する時代ではないんですよ。内容で勝負しないと。大鳥居で有名な宮島の花火大会が復活しましたが、あそこは発数は多くないですよ。特長は鳥居といっしょに見る花火が美しいということです。やっぱり、特長を出していかないといけないですよ。難しいことなのですが、そうしていかないと継続できないと思います。
それと、私がずっと思っているのは、今は、ボランティアが頑張っているのでやれているのですが、今後、それが難しくなったときには、きちんと行政にサポートしてもらわないといけません。その仕組みを作っていかないといけないですね。
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松山市も、補助金を出すだけではなく、今、人も出してくれてます。市としても、成功させないといけませんからね。
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花火が無くなったら、三津の大きな魅力がなってしまいますよ。中心になる振興会と実動部隊である船手組がしっかりと協力体制ができているので、これは問題ないと思います。
大きな花火大会は、大曲や長岡や全国各地にありますからね。そんなところと競争することはできないですから、発数にこだわらずに、三津らしい手作りの花火大会を今後も続けるべきだと思います。でも、協賛金にしても席の売り上げにしても限界がありますから、この花火を盛り立てるには、やはり松山市がどこまで本気を出してくれるかです。三津浜花火大会は、松山の観光の目玉でもあるのですからね。
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ボランティアのメンバーも、もちろん、だんだん年を取っていって、全盛期に比べたら、出てこれなくなるなる人も増えていますね。お金の面でも、動く人の面でも、皆さんの協力あっての花火大会です。
花火大会の観客動員数として公式に発表されるのは、会場周辺の人数ですが、三津浜の花火は、例えば空港の方面や松山城の方面や島の方面など、いろいろな所から見ているんですね。会場でなくても、そんないろいろな所にお客さんが来てくれます。花火がそれぞれの地域経済活性化の核になるのはとてもいいことです。多くの人に元気を与えられる、そんな花火になればいいですね。
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地域の祭りや行事がこれまでのように続けられなくなっていることは、どの市町村でも問題になっていますね。
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花火の話からはそれますが、今年、古三津の神輿を新調したんですね。役員がローラー作戦で1軒1軒町内を回って、たくさんの人の気持ちが集まってできたことなんです。企業の大口の寄付から比べたら少額だとしても、自分が寄付をして新しくなった神輿ですから、大切に思えるし、見に行ってみようと思えるんですね。
祭り離れが進んでいるのですが、すそ野を広くしていくことで祭りも続いていくのではないかと思うんです。花火もいっしょだと思います。地元の人たちが少しずつでも協賛金を出し合って、自分たちの花火として誇りに思えるようになったらうれしいですね。そんな風に、すそ野を広げる活動を今後展開していかないといけないなと思います。
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規模が大きくなることが重要なのではなくて、たくさんの人の気持ちが集まることが大切だということですね。
これまで、三津浜活性化に尽力してこられた方々や団体のお話を聞かせていただき、三津浜が生き生きとドラマを積み重ねていることに感動しました。若い世代がこの物語を受け継いで、活動のエネルギーにしていただくことを願っています。
皆さん、今日は、ありがとうございました。
※この記事はインタビューに基づき執筆されたものであり、登場する内容はインタビュイー(回答者)様ご個人の体験や意見を反映したものです。